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2012(平成24)年度の活動

                                                                         
第六十四回 11月2日(金)参加者17名
テーマ
豊かな表現力
叙述のエッセイ作品は常に読み手を意識した、書き方が重要です。読み手の脳裏に、どれだけリアルに情景や心象を映し出せるか。そのためには何を学ぶべきか。それは豊かな表現力を身につけることです。
文章や単語がぶっきら棒だと、作品が終始、説明調になります。表現力を高めると、作品には奥行きとか、立体感が生まれ、なおかつ読者が文章を味わえます。読者の心に響く作品が書ける、土壌ができあがってきます。

豊かな表現力を身につける。その技量を増すテクニックがあります。
平屋、2階建て、3階建て。どれが目立つでしょうか。3階建てです。
「3階建ての文章を書きなさい」
 それが最大のテクニックです。

私は高尾山に登った。(平屋)
私は紅葉の高尾山に登った。(2階建て)
私は赤黄で燃える紅葉の高尾山に登った。(3階建て)

親友と新宿で酒を飲んだ。(平屋・単語)
親友と新宿で愉快に酒を飲んだ。(2階建て)
親友と新宿で談笑しながら愉快に酒を飲んだ。(3階建て)

彼の心は嫌いだ。(平屋・単語)
彼の欲得な心は嫌いだ。(2階建て)
彼のごう慢で欲得な心は嫌いだ。(3階建て)

海、草花、雪景色、若者、庭木、こうした単純な表現だと、ストーリーの展開に終始し、文章の味わいまで配慮がなされず、味の薄い作品になります。

「形容詞でなく、形容詞句で書きなさい」。文法の難しい用語で理解しなくても、『3階建てで書きなさい』と覚えておいて、重要な単語は膨らませてください。そうすれば、豊かな表現力が身についていきます。
ただし、4階建てとなると、ベースの単語が上部を支えきれず、倒れてしまいます。3階建てで止めてください。それも重要なテクニックです。
先般、先生から参加者が20名を超えると、充分な内容の分析、講評の時間が取れない。出来ればクラスを二つに分けたいとのお話があった。
教室の始まる前に皆さんと打合せを持ち、結論としてこれ以上の参加者を増さず、何とか現行の20名を続けて欲しい旨を先生にお願いした。結果、先生のご了解を頂いた。
第六十三回 10月5日(金)参加者20名
テーマ
「私の性格」を書こう
エッセイは、「私」を描くことである。他人(身内・きょうだいを含めて)をせっせと書いても、それは薄っぺらな作品になる。「私」とは私の性格である。

出来事、事故、事件は、当事者の性格に起因する。悲しい出来事でも、愉快なエピソードでも、思わぬ失態でも、見事な解決でも、「この性格だから、このように発展したのだ」と作品で伝えれば、読者には読む必要と好奇心とを呼び起こさせる。さらには説得力も生まれる。
反面、出来事だけを書くと、どこにでもある話だ、「私」の心の奥底を見せない、本音が語られていない、上辺だけ書いている、と評価が低くなる。顔見知りの読者だけが喜んでくれる作品になり、普遍性がなくなる。

人間はとかく「他人に対する観察力」は強いけれど、一方で、「他人から見た、私自身は解っていない」のが常だ。思うままに書くと、まわりの人物は描けても、「私」はほとんど書けておらず、最悪は「この作品は人間が書けていない、駄作だ」という評価になってしまう。
だから、意識して「私の性格」を書き込む必要がある。そうすれば、好感度の良い作品が生まれてくる。

「私の性格」の書き方
@ 書く対象・出来事を前にして、「私は見劣りがする、拙劣な性格ではないか」と、一度は他人(対象)の眼からネガティブに「私」に疑問を向けてみる。
A 書きはじめると、周りの相手(人物)は持ち上げ気味に、「私」は下げ気味に展開させる。それでちょうどバランスが取れる。
B 上から目線、教える、演繹的な文体(押し付けの文章)は排除していく。
C まわりの者から(会話文などで)、性格を言わせると、効果がある。
「キミは傲慢だよ。だから、仲間が誘いたくなくなるんだ」
「あなたの気性はまわりを傷つけているのよ。解ってないよね」
「講釈が多いわりに、肝心な時に逃げてしまう、そんな性質があるよ」
「明るい性格に見えるけど、自分の本音を出していないんじゃない」
D 性格を比喩で表す。(だだし、的確でないと失敗作になる)
・折れ曲がった私の性格。意地と根性のネジが緩んでいる私。ブレーキが利きにくい気質。私自身が持て余す私の性格。浮世ばなれした私の性格。

1名の新入会の方があり、定員の20名に達しました。当分このメンバーで、続けます。
会員の感想と先生の講評は、作品数が多いため、終了時間ぎりぎりまでかかりました。嬉しい悲鳴です。
第六十二回 9月7日(金)参加者19名
テーマ
「対比法」で書こう
エッセイは人間を書くことである。
人間は一人ひとり様ざまな性格をもっている。親兄弟でも、容姿も違えば、考えも行動も違っている。「私」とはあらゆる面で違っている。まして、他人ともなれば、顔や形も違えば、趣味も違う。そこをしっかり観察することである。

エッセイの善し悪しは、それぞれの「性格の違い」「考え方の違い」「行動の違い」をどのように描けるかにかかってくる。「違い」に的を当て、掘り下げる、と良質のエッセイが生まれてくる。

日常生活の出来事、事件や事故の遭遇、奇異な出会い……、それがどんな奇抜で珍しいことでも、『人間の違い』が描かれていなければ、単なる紹介文(記事的)で、読み手には、「そんなことがあったの」という淡白な読後感になってしまう。

違いを書く」とはいかなる方法があるか。それは「対比」することである。対比が極端に違うほど、読み手は求心力を強める。
@ 私と登場人物の「性格の違い」がとくに重要である。人の動きにまで及ぶ
A ひとつ場面で、過去と今回の違いを比較させる。読み手の理解度が高まる
B まわりの人物の容姿、着衣、着こなしなどを比較する。人物が立体的になる。

対比法のテクニック(技法)

@ 会話に反論を織り交ぜると、人物がイキイキしてくる。
・「キミの妹は気立てが良さそうだね」「まるで、逆だよ。勝気で、我が強く、兄の目から見ると、あんな妹は嫁にもらいたくないね」
A 地の文(用語の使い方)として、反対語をもちいる。
・監督の血管は寒流だ、コーチの血管は暖流だ。そのくらいの違いがある。
・独奏より、合奏の方が好きだな。 ・朝日よりも、夕日が美しい島だ。
B 類似的な実例よりも、相違的な事例を織り込む。作者の切り口が光ってくる。
・ 巨人と阪神の攻守の違いを語る
・ →巨人と鹿島アントラーズの戦略の相違を語る。
62回の教室に、新たに2名の方が参加され、過去最高の19の作品が集まりました。
この日『エッセイ教室60回記念誌』が出来上がり、皆さんに配られました。
お仲間の紹介の印刷、製本は満足の出来ばえになりました。
第六十一回 7月6日(金)参加者16名
テーマ
心理描写を書こう
エッセイは身の回りの出来事や事実をそのまま書くだけでは完結しない。そこに心理をつけ加えて書くことである。
人間は行動を起こす前には必ず考える。迷い、打算、思惑、勝算、相手の心の読みなどが脳裏を渦巻く。あるとき悩み、神経をすり減らし、考えた末に行動を取らず、見合わせることもあるだろう。
大事故や災害に巻き込まれた瞬間ですら、人間は「死にたくない、助かりたい」という咄嗟な考えから、四肢が連動して動く。一瞬の危機でも、考えなくしての行動はないのである。
エッセイの心理描写とは、それら行動の前の考え、想い、気持ちを取り出し、文字化するものである。つまり、「私」の心に容赦なく手を突っ込み、心の想い、考えを取り出す、作業である。
ところが、[私]の心は実に厄介で、つかみにくく、得体のしれない、自己本位に満ちている。負とか、マイナス面は隠そうとする。愚かで、いかがわしい存在である。上辺だけ、建前でエッセイを書くと、読者は悧巧だから、「書くべきところを書いていない」と作品を見下してしまう。心理を的確に描くほどに、「人間って、こういう行動のとき、こうも考えるよな」という普遍性に近づいた、感動エッセイとなる。
歩んできた人生の一コマ、出来事、行動の心理を書き綴ることで、「私」自身を再認識できる。それがエッセイを書く喜びであり、苦しみでもある。

「私」の心理を書くためには、
@ 心を飾らない。ウソをつかない。逃げない、伏せない。
心の奥底をみせる勇気が必要です。
A 感情表現だけでなく、心が移り行く過程を追っていく。
「怒る、嬉しい、楽しい」は感情表現。そこに至るプロセスが心理描写
B 一つの行動に対して、建前と本音をはっきり列記する。
対比法を使う。
D「どう感じた」よりも、「どう考えた」の方にウェイトを置く。
 他人の作ったTV、映画、読書の紹介は、「私」の考えでなく、「どう感じた」という感想文。私自らの行動、制作、発言をもって「私は考える」が生まれる。
E抽象的な表現、概念の用語で書かない。具体的に書く。
 日本人は〜、という概念で書くよりも、「私自身は〜」と書く

やってきた演習を、自身で読み上げていますが、聞き取りにくいので、なるべく印刷物にしてほしい、という要望がありました。それに応えて、ほとんどの会員が協力し、印刷してきました。しかし、これを読む方が時間を取って、感想をいう時間に食い込んでしまいました。話し合いの必要があるようです。
第六十回 6月1日(金)参加者16名
テーマ
漢字の巧い使い方、こだわり方
エッセイは文学ですから、作者の表現・表意が優先されます。教科書への記載ではありませんから、文部省が決めた「常用漢字」にこだわらないことです。
エッセイは漢字の難易度を競うものでなく、内容を味わうもの。漢字は一文字ずつ長い歴史で培われた、深い意味を持っています。とくに動詞において一文字ずつ漢字の用法に留意していくと、作品に味わいが醸し出されていきます。

@「診る」「観る」「視る」「看る」「覧る」「見る」
医者が身体を診る。それ以外は、当用漢字で「見る」で統一されています。これではエッセイの味と深みが出せません。老後を看る(看病)、パレードを観る(観閲式)、各地を視てまわる(視察)内容に最も適した漢字を使いましょう。
 
A「作る」「造る」「創る」を使い分ける
米を作る(耕作)、文章を作る(作文)、エッセイを創る(創作活動)、学校を創る(創立記念日)、船を造る(造船所)、貨幣を造る(造幣局)  関連づける漢字の熟語などに置き換えてみると、すんなり判るものです

B「逢う」「会う」「逢う」「合う」「遭う」
彼女に会う  → 彼女に逢う(恋い焦がれる雰囲気が出ます)
彼と道で会う → 彼と道で遇う (思いもかけずに、偶然に出くわした)むだな説明が不要になり、簡素にして作者の想いが描けます

C「写す」「映す」「移す「遷す」
カメラで写す(写真)。スクリーンに映す(映像)。都を遷す(遷都)
同音でも、ここらは間違えることができないところです。

D 風邪をうつす(感染) → 風邪を染(う)つす 
造語の場合は、ルビを振ってください。

E 「取る」→ 「撮る」「録る」「採る」「捕る」「執る」「摂る」「獲る」「穫る」
使い方に迷ったら常用漢字にするよりも、「ひらがな」にしてしまう。これもコツです。
今回16名の参加。昨年の50回に引き続き、60回記念誌の発行を目指して、張り切っています。一方中澤映子さんが5月に当室の出版第一号者となり、参加者には良い刺激となりました。
西原(穂高健一)講師のホームページで「推薦図書」として「・・・6年間にわたり毎月この出版を目指して創作し、書きためてきたのである・・・」と紹介されています。
第五十九回 5月4日(金)参加者16名
テーマ
テーマの見つけ方
エッセイ作品では、テーマは重要な要素です。作者のヘソのう(体験、考え方、精神生活、人生観など)と結びつく必要があります。テーマが明瞭になれば、読者のなかに、印象に残る作品となります。
「テーマって、なんですか」
それは作者が最も言いたいキー・ワードです。条件として、「一つの言葉」で表現できることが重要です。

多くの人は、書きたい話の内容(ストーリー)はしゃべれても、書く上で重要なテーマとなると、覚束ないものです。
『前々から書きたかったもの、書き残しておきたいもの、突如としてひらめいたもの』それが次のものだったとします。

*「台風の接近で客船が大揺れし、船酔いするし、大変な旅だったの……」→ 作品化するとすれば、テーマは何ですか

*「エスカレーターで転倒して、救急車で運ばれて、五針も縫ったのよ……」→ 書きたいテーマは何ですか

*「福島のしだれ桜を見に行ったら、綺麗で、感動したわ。それを書きたいわ」→ 明瞭なテーマはありますか

 このように書く段になっても、書きだしても、テーマが絞り込めていないのが普通です。

【テーマの絞り込み方法】
@ 初稿は荒書(荒削り)で、初めからきちんと書こうとしない。
A ひと通り書いたならば、ラストの周辺で、作者として最も言いたい言葉(テーマ)を探す。
B 最後の一行にその「テーマ」の言葉を組み込む。そして、2稿を書いていく。そうすれば、テーマが絞り込めた作品になります。
C 題名にも使うと、さらなる効力を発揮します。

当教室は、来月60回目を迎えます。西原講師は、ご自分のHP『穂高健一ワールド』で、そのことを紹介したいと、今回プロの滝アヤさんに撮影を依頼されました。出席者の16人は、若干緊張気味に演習の発表と、作品の批評を行いました。
第五十八回 4月6日(金)参加者15名
テーマ
文章のリズムと流れ
文章にはリズムが大切です。文章のリズムが良いと、エッセイ作品に味が出てきます。読み手の頭のなかに、心地よく言葉が入っていきます。文章のリズムが悪いと、起伏がなく、単調で、読み難くなります。

【ポイント】
A 長い文章(ロング・センテンス)の後は短い文章にする。短い文章が続くと、長い文章にする。これがリズムの基本です。きっちり正確にやりすぎると、却ってリズム感を失くします。
B パラグラフ(複数のセンテンス・各段落ごと)の分量に変化をつけると、作品のリズムをコントロールできます。

2つを常に意識して創作活動していると、個性的な文体と独特のリズム感が生まれてきます。作者名を伏せていても、文章のリズムと流れから、誰のエッセイ作品か判ってくるものです。

【リズムを有効活用する方法】
@ 「文章に勢いをつける」 急ぐ、あわただしく、せっかちに……、こうした状況を描写するときは、ショート・センテンスの連続で処します。読点も多くします。改行もやや多くします。
A 「ゆるやかな流れの文章にする」 のどかな、静かな気持ち……、ややロング・センテンスにします。パラグラフも厚くします。ただし、漢字は少なく、四文字熟語なども避けます。
B 会話文「」「」でもリズムができます。「」がやたら連続し、地の文もほとんど挟まれていないと、薄っぺらな作品になります。
C 大きな声で、作品を読んでみる。ラストまでスムーズで音読できたならば、作品全体に良いリズムが生まれています。
嬉しいニュースがありました。メンバーの、青山貴文さんが、埼玉県教育委員会主催、埼玉文芸賞【文芸評論・エッセイ・伝記部門】で佳作受賞されました。エッセイ『おやじの背中』です。
「70代以上の、おそらくは実体験を描いた読後ほっと心に残るエッセイである」と講評がありました。クラス一同には大きな喜びと励みになりました。
第五十七回 3月2日(金)参加者16名
テーマ
エンディングについて
書き出しが重要であるように、エッセイの結末も映画のラストシーンと同じように大切である。
作品ごとに内容が違うから、結末や着地には定型がない。だが、効果を上げるコツはある。上手なエンディング法としては、全部書き切らないで、その後は読者に想像させてしまうことである。

・結末が良いと、「良い作品を読んだ」という評価になる。
・結末が悪いと、最後まで「期待してきて裏切られた」心境になる。
・結末と結論は違う。結論は論文的で、読者の想像力を奪う。

【良い結末の書き方】
@ 結末ではテーマと結びつかせる。(作者が最も言いたかったことを書く)。
@ 重要な部分、力を込めて描きたいもの、それが最後の一か所にくるようにする。(凝結させる)。
A 書き切った完結よりも、「続き」で終わらせる、というスタンスで臨む。
B 技術的には多めに書いておいて、1、2割ほど手前で切ってしまう。余韻が生れる。(コツ)
C 随所に伏線を張っておいて、ラストで結びつくようにする。
D 期待、希望など、心のなかを表現する。つまり、心理描写で終わると効果的である。

【悪い結末として】
@ 作者が顔を出してきて、結論をつけたり、見方や考え方を「取りまとめ」たりをする
A (心理描写の逆)、説明的で、理屈っぽくなる。読後が悪くなる。
B 最後の1、2行がロングセンテンスで、意味がつかめない。作品全体をつまらなくさせてしまう。
C 最後の数行で誤字、脱字がある。それが引っ掛かって、読後の印象に影響を与えてしまう。
D ダラダラした冗漫な展開のまま、書き過ぎで、切れ味が悪い。
参加者16名の各作品には、2名がコメントを述べて、その後先生が講評されます。参加者は自分が思ったり、感じたことと、先生の講評を照らし合わせ、仲間の作品から学んでいます。
二次会は教室の続きです。言いたいことを言って賑やかでした。
第五十六回 2月3日(金)参加者14名
テーマ
感動エッセイを書きましょう
エッセイを上手に書く。技巧の意識を超越した、「感動するエッセイ」にチャレンジしましょう。
誰もが生きてきた道をふり返れば、必ず他人を感動させる素材をもっています。提出作品の数回に1回は、それを引き出してみましょう。
@エッセイは「他人に読ませる」もの=作者の独りよがりにならない。
A「心の動きをとらえる」もの。=人間の心理を追う書き方。
B「生き方の断面を書く」もの=私の生き方の『へその緒』を感じさせる。
執筆姿勢として、「心的に苦しまずに、書きやすい素材を取りあげた」場合は、出来事の紹介、単なるエピソードという平板な作品になります。読者は、作中の心理を追うほどでもなく、低い評価になります。
独りよがりの作品はどんなに長く書いても、最初の数行、あるいは途中まで読んだら、ポイされてしまいます。【読者とはまったく面識のない赤の他人です】
@ 書き出し、結末、テーマ、題名の4つがリンクされていると、良い作品です。
A さらに圧縮と省略で、文章が磨かれていると、成功作品になります。
B そのうえ、作中に光るところが2カ所あれば、感動作品になります。
感動するエッセイは、「私」自身の逆境やコンプレックスを思い浮かべ、赤裸々になれる勇気から生まれます。書きながら実に辛い気持ちになる。こんなにも私自身を裸にしても良いものなのか。それを押し切って書き抜けると、作品が光ってきます。 
人数も増えてきたので、提出原稿の長さを、エッセイ教室フォーマット(35字×36行)で、最高2枚までと決めました。
本日の参加は会員14名、見学者2名でした。
第五十五回 1月6日(金)参加者15名
テーマ
書き出しは作品のいのち
エッセイには特別な作法はない。どんな風に書いても良い。テーマも、ストーリーも自由である。唯一の技法は、『作者は読者のために書く』、それに徹しなければならない。徹底して、作者の独りよがりを排除することである。
書き出しは作品の顔である。名作は書き出しが良く、読者に強く印象で残っている。……平家物語、徒然草、雪国、伊豆の踊子、草枕などはいつまでも記憶に残る。案外、その内容は覚えていないものだ。
書き出しは作者と読者との初対面の場である。最初の一行で、第一印象がほぼ決まる。その善し悪しが作品の先入観にもなる。
上手な書き出しは、最初の1行で、次の一行が読みたくなる。逆に、3行も読んで興味がわかなければ、もう完ぺきに放棄されてしまう。
 魅力的な書き出し法
@ 情景文(映像的)、あるいは心理描写などで書く。
A 説明文(ビジネス的)はやめる。読者がレポートを読まされる心境になる。
B 作品の前置きはやめる。エッセイ作品は最初から方向性を示す必要などない。作品の底が割れてしまう(読まなくても、結論が見えてしまう)。
C 最初のパラグラフ(3〜5センテンス)は、知恵の小出しで書く。最初の1行では内容が解らない。次の行を読んでみたくなる。さらに次へ、と連続展開を重ねると、主人公「私」がどう処すのか、とつよいリード文になる。
D 作者自身の五感による文章で書き出す。慣用句(雨後の筍)、ことわざ、比喩(〜ような)、手あかのついた文(幸せな一生だった)は排除する。
E 著名人の引用文から入らない。他人の褌(ふんどし)を借りた陳腐なエッセイになる。作中でも使わないほうが良い。(作者の能力の方が劣る証明になってしまう)
上手なエッセイ技法は、2稿の再構築で決まる。
@ 初稿を書き終えたら、まず結末にテーマを持ってくる。(無駄な蛇尾は切り捨てる(作者の感想、注釈、その後など)。そのうえで、結末にリンクした書き出しにする。題名の最終決定をする。
A 初稿の原稿用紙の1枚分くらいは切って捨てれば、無駄な助走が取り除かれる。
本年最初のエッセイ教室・55回を迎えました。新会員清水さん、横手さん2名も加わり総勢15名です。
先生の厳しい指導は作品のレベルアップを指向「作品冒頭の弱い出だしの思い切ったカット」でスタートしました。


講師:西原健次 毎月1回開催
場所:新橋「生涯学習センターばるーん」 
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