第百四回 |
11月8日(火)参加者14名 |
テーマ
伊藤桂一著『小説の書き方』について
この10月に、99歳で死去された直木賞作家の伊藤桂一氏は、西原先生の恩師である。
伊藤氏の作品『小説の書き方』について、西原先生のミニ講演があった。内容は、以下のとおり。
*『小説の書き方』は、講談社から1997年に発刊された。小説で世に出たい人間のための講座である。小説構想の立て方、小説の取材の要諦、成功作と失敗作の分岐点、などから構成されている。
*自分も常に話しているが、講座は休まず続けること。連続した取り組みに、意味がある。
*随筆(エッセイ)は400字詰め原稿用紙3〜4枚程度。文学では最も難しいジャンルであり、随筆を書くために、物書きは必ずメモを取っている。普段の心掛けが大切だ。哲学のように座っていて書けるものではない。動き回らなければならない。
*紀行文に習熟しておくのもよい。ただ、観光地を羅列するだけでは意味がない。行ったところを絞り込み、旅先での人との触れ合いを大切にすることが必要だ。どんな人間が発見できたか、を書く。
*完成させることの大切さ。途中で投げ出すと、精神衛生上よくない。とにかく書き上げ、原点に戻って見直し、推敲、刈込をする。
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武智さんの奥様、康子さんが入会された。ご夫婦そろっての教室参加は初めてのこと、ご活躍を期待したい。
港区の行事などと重なり、会場の確保が難しくなっている。やっと確保できた12月の教室は、クラブの忘年会と重なったこともあり、中止となった。となると、今年の教室はこれが最後。アフターの二次会は、エッセイ教室の忘年会である。西原先生を囲んで楽しく懇談した。
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第百三回 |
10月10日(月)参加者10名 |
テーマ
タイトルのつけ方
題名は、作品ができあがった時点でつける。良くないものをあげてみる。
*内容が見えすぎるもの
*事象、固有名詞そのもの
*思い出、ある日など、どこにでもあるもの
*有名作品と同名タイトル
*長いタイトル
タイトルの字数は奇数が良い。漢字にしたり仮名にしたりで調節できる。動きを感じるものが良い。テーマ、言いたいことを、一言で表す。
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先月の井上さんに引き続き、今月は石川さんが入会された。お二人とも書き慣れた方で、強力なメンバーになって頂けそうだ。
今月は、理想の広さの教室が取れた。全員向き合った机の配置なので、話が聞きやすい。活発な意見交換が出来て、有意義な時間になった。
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第百二回 |
9月12日(月)参加者13名 |
エッセイ教室100回記念誌』
A5判二段組 315ページ
157作品掲載
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『エッセイ教室百回記念誌』が完成し、配布された。記念誌は、毎月の教室でメンバーが書き上げ、先生のご指導を受けて見直した作品を、一年分とりまとめたものである。「元気に百歳」クラブにとっては、教室が百回続いた輝かしい記録であり、またメンバーにとっては、自身の作品を残せる貴重な刊行物である。
100回以降の教室の進め方については、従来のレジュメの講義に代わり、西原先生に約30分のミニ講演をしていただくことになった。文学論、幕末の歴史、他のカルチャー教室の話題など、充実した内容を期待する。
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第百一回 |
7月11日(月)参加者9名 |
テーマ
読んで読んで読みまくれ
書いて書いて書きまくれ
良い読み手を探そう
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第100回教室を機に、退会された方が4名おられたことに加え、今回は欠席が4名あり、少々淋しい勉強会となった。一方参加者が9名と少人数だったので、各人の作品を事前にじっくり読み比べ、作者の考え、思いを把握した上で、先生のご指導を受けた。内容の濃い、充実した勉強会だったと思う。
会員の枠に余裕が出たことで、エッセイに興味を持たれる方の入会を歓迎する。それとともに、退会された方も、また教室にお顔を見せていただきたい。
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第百回 |
6月14日(火)参加者15名 |
テーマ
距離感について
学校で作文を学んだから、エッセイや小説が書ける、と勘違いしている人が多い。それは錯覚だ、と言い切っても良いだろう。
学校教育では、「日記を書きなさい」「作文を書きなさい」という指導である。教師自身は、エッセイや小説という叙述文学の創作技術をもっていない。名作を読ませて感想文を書かせるていどだ。
プロ野球を観戦させたからといって、高度な野球がプレーできるはずがない。名作を読ませたからといって、エッセイや小説が書けるわけではない。
顔見知りに義理で読んでもらい、お世辞でごまかされて、有頂天になっても、創作の基本がないと、いずれとん挫してしまう。ちなみに冠婚葬祭で、定型文の類似を書いたうえで、参列者のまえで読めば、まわりは涙するだろう。しかしながら、当事者をまったく知らない赤の他人が、後日、それを読まされても、白けて、涙ひとつながさない。およそ感動、感慨とは無縁だ。
では、「作文」と「エッセイ」の最大のちがいはなにか。一言でいえば、距離感の保ち方だ。自己を描くだけの作文には、距離感はほとんど必要ない。
距離を取って書く。それは「もうひとりの私」が、実際の「私」の経験や体験を観察し、文章で克明に描くことである。独りよがり。それを排除し、見知らぬ他人でも読めるように「自分を突き放して書く」につきる。この距離が十二分に取れていれば、いかなる読者の心にもひびく。感動して涙すらながす。
学校教育では、この距離感の取り方が教えられていない。1作、2作、まぐれで感動作品が書けても、創作技法がなければ、継続などできない。
もう一段すすめて、エッセイと「私小説」のちがいとはなにか。小説の場合は、主人公「私」という人物にたいして、作者(作家)が生き方の思想・哲学を抽入することである。おおくは他人から得がたい哲学(価値)をちょうだいし、主人公「私」の生き方(ストーリー)に反映させていく。完全なフィクションでも成立するのが、「私小説」というジャンルである。
エッセイも私小説も、評価において、『人間って、そういうところがあるよな』という基準は同一である。
エッセイ教室における100回の学びは、その基準に近づくように創作技法を学ぶ、実践の場だった。ただ、文学、芸術、音楽などの世界の基準値はいつも高く感じさせられる。だから、継続して高めていくのみである。
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「元気に百歳」クラブのサロンとして、10年前にスタートしたエッセイ教室が、記念すべき節目の100回を迎えた。10年の長きにわたって指導を続けてこられた西原健次先生に、心から感謝と御礼を申し上げたい。
先生は講義の始めに、当教室の基本方針を確認された。勇気がなければエッセイは書けない。書きやすいものでなく、書きにくいもの(コンプレックス、心の痛みなど)に取り組むこと。エッセイは、大胆に自分を見せる場であると。
二次会は、いつもの居酒屋と雰囲気の変わったビヤレストランに、全員で移動した。6月3日に山と渓谷社から『炎の山脈』を出版された西原先生のお祝いと、100回記念を兼ねた和やかで楽しいひと時だった。100回続いた教室に、唯一休まず出席された中村誠さんに皆勤賞が、また事務局を支援して、毎回二次会などの段取りをしてくださる奥田和美さんに、感謝状が贈られた。101回以降も充実した教室が続くことを、願いたい。
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第九十九回 |
5月11日(水)参加者13名 |
エッセイを随筆の延長線上で書くのが一般的ですが、文章力が向上した今、記録的要素で後世に体験を残していくことも、重要な役目だといえます。
企業戦士として活躍した時代。その断面を抽出し、そこに喜怒哀楽の情感を交え、読ませる作品に仕立てていく。当然ながら、ビジネス用語が必然となってきます。曖昧な用語は避けて、できるだけ的確な語彙の使い方が求められます。(随筆はむしろ曖昧で複雑な感情を狙う)。
「戦略と戦術の違いはなにか」 戦略とは敵の作戦を先読みしていく計画である。戦術とは戦う技術の選択である。作戦の大小ではない。
「危機と危険はちがう」 危機はシステムが思うように動かなくなって起きる混乱。危険とは予測・予知ができず、わが身にふりかかってくるもの。
「権力と権威はちがう」 権力とは奪うもので、その座で威張っているひとたち。権威とは自らの手でつくりあげ、相手が敬うもの。
「公平と平等のちがい?」 公平はそれぞれの価値を正しく評価すること。平等は横一列に並べること。
「マイホームとマイハウスはちがう」 新築の家を買ったが、支払い困難で夫婦げんかが絶えない。マイハウスは買ったが、マイホームはできなかった。
「同情と思いやりのちがい」 同情とは可哀そうだと、上から目線の優越感である。思いやりとは相手の立場で考える行為である。
「利口な人と、賢い人はちがう」 利巧とは要領がよく、立ち回りが上手で処世術にたけている。賢い人は学歴、年齢、男女、地位に関係なく、人の道をわきまえた判断と行動ができる。
※ 人間観察も多種多様で、素材になります。
できもしない非現実的な対策や戦略をぶち上げて「だから、わが社は問題なんだ」という目立ちたがり屋。能力がある人を陰で誹謗する陰湿な社員。精神的に傷つくのを恐れて上司にはへつらい、下に威張り、チヤホヤされる相手を優遇する自己愛(ナルシズム)社員。こうした人間模様も……。
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いよいよ次回は、節目の100回教室だ。西原先生から、今後は記録を残すという意味も含め、特に人間を書くことを勉強していきたい、と指導方針が述べられた。
ここまで教室が続き、メンバーの文章力が上がってきた現在、自分の書きたいものを書いていては駄目。それはアマチュアである。プロは、読みたい人のために書いている。私たちも、それを感じとらなければならない、とのことであった。
教室参加者の全作品を取りまとめ、一年(10回)ごとに記念誌を発行している。今回は特別の記念誌なので、参加者全員に200字程度の原稿を投稿してもらい、『(仮)100回記念に寄せて』という頁を作る旨、事務局から報告と依頼があった。
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第九十八回 |
4月12日(火)参加者16名 |
テーマ
結末について
作品の三大要素と言えば、@テーマ、A書き出し、B結末である。「テーマは絞り込む」。「書き出しは動きのある描写文」。「結末は読み終わって、拍手したくなる」。@、Aは作品を書き出す前の準備段階から、計算できる。また、そうすべきである。B結末は読んでみないと、良し悪しはわからない。
上質な作品が最後の争いとなると、結末勝負となる。それは読後感、余韻、全体の受け皿など、多種の要素がからむからである。
「拙劣な結末」ならば、かんたんに列記できる。
単なる幕引きはダメだし、締め括りの作者の説明だと失望する。落ちをつけると、小細工が目立ち、邪道になりやすい。まして、作中でも言ったことを二度出しすれば、息切れした作品におもえてしまう。
「良い結末」にも、それなりの技法がある。
@ まだこの続きがある、と思わせる終わり方にする。それには、最後の五分の一くらいは思いきりよく棄ててしまう。それが余韻になる。
A 作品のテーマを最後の1―3行で書き表す。作者が最も言いたかったことがこれか、と理解される。
B 題名を結末のセンテンスで入れてみる。だから、この題名だったのか、と説得力が出でくる。
C 書き出しの文章と、結末の文章を入れ替えてみる。双方がリンクしていれば、強い印象に結びつく。
D ラスト一行は、「 」会話文で終わらず、短いセンテンスの地の文にする。
E 予想もしていなかった、目新しい意外性で着地させる。作品が光る。
F 作者があえて自分の心を観察する心理描写にする。読後感が強まる
体操競技では、着地がぴたり決まる。それが妙技の演技になる。おなじことがエッセイの結末にも言える。「巧いな」と言わしめれば、それは作品全体をしっかり受け止めたよい結末である。@〜Fを組み合わせると、それに近づけられる
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西原先生は、現在長野県松本市の「市民タイムス」に『燃える山脈』を、連載中である。この歴史小説が、8月11日の「山の日」を前に、山と渓谷社から、単行本として出版されることが決まった、と冒頭に報告があった。
本日の講義は、作品の三要素@テーマ、A書き出し、B結末、のうち、結末についてだ。
よい結末は、体操競技の着地と同じで、ピタリと決まり、読み終わって拍手したくなる。私たちのエッセイも、最後の一行に全エネルギーを集約するよう、指導があった。単なる幕引き、作者の説明は、不要とのこと。
次回は引き続き、書き出し、テーマについて指導いただく。
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第九十七回 |
3月8日(火)参加者15名 |
テーマ
隠れ主語について
日本人には、主語や目的語がなくても、推察できる能力があります。
「あれ、どうだった?」「結構、いけるわよ」
こんな会話でも、前後の情況から、私たちの会話はながれていきます。
「よかったわよね、きのうのあれは」「感動よね」
手ぶり、身振り、顔の表情も入るので、主語がなくても、読み取れます。
「ちょっと、頼んでも、いい?」「いいけどさ。いまはやめたほうがいいわよ」
こんな会話もごく自然に成立します。
エッセイは「私」を中心において描かれます。英語のように、「I」、「it」「there」と、主語を書かなくても、文意は読み取れます。と同時に、隠れ主語のほうが、文章(センテンス)が美しく、輝くときが多いのも事実。それが昂じて「エッセイには、『私』は要らない」と指導する方もいます。これもていど問題で、『私』が皆無だと、作品全体が平板に陥りやすくなります。
@ 全体のストーリーの流れのなかで、盛り上げていくさなかに、「ここぞ」と思うところは、主語「私」を明瞭に出したほうが効果的です。
「こんな破廉恥な息子にむかいあって、腹が立った」 → 「こんな破廉恥な息子とむかいあって、私は腹が立った」。私の怒りを強調することができます。
A まわりの人物までも隠れ主語にすると、「私」と混同し、意味不明領になりかねません。相手はできるだけ隠れ主語にしないことです。
「怒っていることは、返事もしないので、すぐにわかった」→「妻が怒っていることは、洋子が返事もしないので、私にはすぐわかった」
B 感情表現などは、むしろ主語『私』を出したほうが効果的です。
緒事情を述べてから、「悲しみで泣いた」→ 「私は悲しみで泣いた」
C 隠れ主語としては、急ぐ、慌ただしい、行動が早いときに効果的です。この場合はむしろ主語をつけると、かえって動きが緩慢になります。
「奴が雑貨店からとつぜん追いかけてきた。男は棒切れを振りまわす。捕まれば、半殺しに遭いそうだ。川沿いに逃げた。奴は大声で、泥棒呼ばわりをしている」
私は川沿いに逃げた。これでは逃げ方が緩慢になります。
※ エッセイは原稿用紙四〇〇字詰めで、一カ所くらいは『私』を入れたほうが、「私」の行動・心理・性格を強調した、良い作品になります。
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節目の100回教室が、近づいてきた。今後の教室の持ち方について、開始前に全員が集まり、意見交換、打ち合わせを行った。
投稿に当たっては、事務局との連絡を、確実に行うこと。毎回三編のエッセイが先生のHPに掲載されるが、載せる、載せないに当たっては、本人の意思をはっきり表示すること。記念誌については、100回以降は体裁を簡素化し、事務局の負荷を減らす。などが提案、確認された。
今回の講義は、「隠れ主語」についてだった。エッセイを書くにあたって、「私」はいらない、という考え方もあるが、全体を強調する時に「私」を表に出すと効果的である、と指導された。
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第九十六回 |
2月9日(火)参加者16名 |
テーマ
情景の説明文と描写文
説明文とはなにか。主語と述語の関係で、物事の骨格の要点を書きつづった文章である。用途として伝達、報告、記録など、ビジネス社会では最も適している。エッセイでは、流れをつくるだけで、味わいが少ない。
描写文とはなにか。出来事、動作、変化たいして、一つひとつに修飾や形容をなしていく。読み手が場面を想像できる利点がある。描写文は文章が長くなるので、片や内容を削る作業が必要である。エッセイ、小説には欠かせない。
【情景の説明文】
電車が伊豆海岸を走っていく。車窓には伊豆諸島がみえた。旅仲間三人の初日は熱川温泉だった。駅に着くと、温泉街から湯煙りが昇っていた。私たちの新婚旅行の思い出の地よ、出会いは伊豆大島よ、とおしえた。熱川の夜はその話題でもり上がり、翌日は伊豆下田を経由して、堂ヶ島にむかった。そして、島巡りの船に乗った。
【情景描写文】
私たちの電車が伊豆海岸の波打ぎわを縫っていた。洋上の海面には秋の陽光がきらめく。かなたには小粒な島影が浮かぶ。車窓が一瞬まっ暗になった。トンネルを抜けるたびに、遠方の島々がしだいに電車に近づいてきた。
熱川駅のホームは、小高い丘の中腹にあった。降り立つと、眼下には温泉街の白い湯煙りが潮風でたなびく。新婚の夜はこの地の宿だった。私の心は湯煙りにかすむ伊豆大島をとらえていた。妻との出会いは真夏で、島の民宿だった。 ※堂ヶ島まで書かない。
【会話による情景文】
「ほら、いちばん大きな島が伊豆大島よ。となりの小粒な三角形が利島。そのずーっと奥が船形した神津島よ。週なん便か、下田港から連絡船が出ておるよ」
むかいあった乗客の老女が、車窓の島々をていねいに指して教えてくれる。
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今回は、説明文と描写文の違いの話だった。
「多摩の橋を渡った」
これは説明文だ。描写文にするにはどうするか。
「(紅葉が映える)多摩の(吊り)橋を(おそるおそる)渡った」
カッコのような描写を入れて膨らませていく。
二次会は「忘年会」となった。一年間お世話になった先生、二次会でいつも幹事をして下さる奥田さん、そして、今回「地上賞」を獲得された清水さんに乾杯した。
来年も元気に集い、学びたいものだ。
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