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第189回 令和7年10月22日(水) 参加者12名
     「NTT技術史料館」見学

 昨日までの暑さが急に12月上旬の寒さに変わって服装も冬仕立てに変更し、武蔵野市にある「NTT技術史料館」を見学した。参加者はいつものメンバーの12名だった。
三鷹駅からバスに乗り武蔵野市役所前まで行って、各自受付を済ませて入門証を受け取り案内人を待った。
 この資料館は武蔵野通研の歴史を展示した、いわゆる日本の電気通信における技術開発の歴史的資産を系譜化・集大成した史料館であり、見学コースは各種あるが今回は基本コースの「歴史・技術を展望する」ツアー(60分)に参加した。
 電気通信における送り側、受け取り側から見た発展とそれをつなぐ機器について詳細に展示されていた。送り側は昔の電々公社であり、受け取り側は国民である。送り側である電々公社のソフト・ハードの開発について、受け取り側の受信機器の変遷(ポータブル化など)が簡潔に紹介されていた。
 日本には江戸時代末から明治時代初頭に電気通信の技術が海外から入ってきて、まず電報が開始された。
送り側は民営化された後の日本電信電話公社が電信網の開設・充実および交換機などの機器開発を進め、受け取り側の受信機の開発は民間のメーカー(?)が主に進めることになった。
送信機器および受信機器ともに半導体技術・ソフト技術などの開発によって高速化・小型化が急速に進展した。特に交換機・受信機の進化はめざましいものがあり、受信機ではポータブル化が進み現在のスマートホーン(以下スマホ)にたどりついたのである。特に、受信側の肩掛け受信機・自動車電話からスマホまでの進化は実際に体験しているのでより身近に感じた。
 見学後バスに乗って三鷹駅に戻り、アフターを町中華で行い、お開きとした。
 なお、「日だまり」も今回で189回となったので、従来のやり方に変え違うやり方で再出発することになりました。
 長年お世話になりありがとうございました。  (芦川記)


第188回 令和7年5月20日(火) 参加者23名
     「川崎市立日本民家園散策」

5月20日(火)午前11時、小田急線「向ヶ丘遊園」駅に23名の仲間が集まりました。最近の「日だまり」としては多い参加人数です。
天候は晴れ、本来5月晴れのもと爽やかな春風を感じながら楽しむところですが、気温が30℃を超える暑い真夏日になりました。
5月度の「日だまり」は、青葉若葉の美しい多摩丘陵にある「日本民家園」への自然探索です。
「日本民家園」は、急速に消滅する「日本の民家」を保存するために1967年、全国の代表的な民家(武家、商家、農家、水車小屋、船頭小屋、高倉、農村歌舞伎舞台など25軒)を、美しい緑深い多摩丘陵に移築した野外博物館です。
向ヶ丘遊園駅からバスで5分、「生田緑地入り口」で下車、そこが「日本民家園」の入り口です。
「日本民家園」の正門で全員そろって記念写真を撮影しました。そして、1時間の自由探索時間が始まりました。
民家園がある多摩丘陵は私達高齢者が散策するにはUP DOWNが多くてやや厳しい環境でしたが、23名の皆さんは年齢を感じさせず、元氣に1時間の自然探索をやり遂げました。
随所に「元気に百歳」クラブのモットーの一つである「自立と支え合い」の姿が見られました。嬉しいことです。
95歳になる上田恭子さんにとっては、厳しい環境でしたが、元気な仲間がサポートする姿がありました。また、94歳の中西成美さんは全く年齢を感じさせない力強いWalkingで本当に頼もしい姿を見せてくれました。
帰路は「民家園」を出て、民家園に沿って作られた気持ちの良い「すずかけの小径」をみんなで揃って下ってきました。あまりにも美しい自然に感動して、途中でもう一度記念写真を撮りました。
アフターは小田急線で1駅移動して登戸の駅前にある居酒屋「日本海・庄や」の個室で13:30からスタートしました。 30℃を超えた暑さの中を長時間歩いたので、のどはカラカラ、ビールの美味しかったことは申すまでもありません。
特上松花堂弁当(写真)とビール・日本酒・ワイン・焼酎・ソフトドリンクなど、思い思いの飲み物で大いに盛り上がり、23名の大宴会になりました。
そして、まだ太陽が高い15:00に解散となりました。           (喜田祐三 記)


第187回 令和7年3月25日(火) 参加者13名
     「目黒川お花見の顛末」

 春の訪れとともに、日本全国で桜が咲き誇る季節がやってきます。その中でも目黒川沿いの桜並木は特に有名な人気スポットです。そんな目黒川でのお花見計画が思いもよらぬ失敗に終わった一日を振り返ります。
今年も目黒川の桜が満開を迎えるとのニュースを聞き、「日だまり」でお花見を楽しむための計画を立てました。天気も快晴で、絶好のお花見日和でした。
午前11:30に田園都市線池尻大橋駅に集合しました。今回の参加者は何時より少ない13名でした。桜のトンネルが広がる美しい景色を期待していたのですが、まだ開花には程遠い状態で一輪・二輪咲いているだけでした。
 でも昼食は予約済みですのでそれまで時間を過ごさなければなりません。少し歩いているとパワマンがありそこに空中庭園があるとの掲示があったので、そこを見学して時間をつぶすことにしました。しかし、庭園に行くエレベーターの場所が分かりません。丁度そこにパワマンの管理をしているらしい人がおり、エレベーターの場所を教えてもらい、やっと空中庭園に行き時間を潰すことが出来ました。
 また、お花見の時期は近くのレストランはほとんど昼食予約が出来ない店ばかりで、やっとイギリス料理の店が予約できました。イギリス料理というのはあまり聞かないので不安半分、期待半分での予約でした。でも、食べたことのないサラダやメインディッシュは思いのほかおいしいものでした。
 「日だまり」は約一か月前に日程を決めますので、お花見のように日程を決めるのが難しい行事をするのは考えものです。また、参加者募集が終わって満開時期が合わないと思った時期に日程を変更することも考えましたが、かえって混乱すると考えそのままにしたのも失敗でした。お花見のように「花見」そのものを目的にした行事は変更する勇気も必要だということを痛感しました。
そのような訳で、目黒川お花見の計画は大きな失敗に終わってしまいました。参加者の皆さまにはご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。
 追伸:今日(3/28)TVを見ていたら目黒川の桜は満開になっていました。3~4日の
    違いでした。

第186回 令和7年1月20日(月) 参加者20名
     「日枝神社 初詣」

 1月20日(月)、毎年恒例の「日だまり」(初詣)を行いました。 政治の混乱が続く現状から、今年は国会議事堂に隣接する「日枝神社」を選びました。
日枝神社は江戸の郷の守護神として1478年、太田道灌が江戸城築城に際して城内に鎮護の神として建立し、江戸の町の繁栄の礎を築きました。1603年、徳川家康が江戸幕府を拓いてより、江戸の守護神として人々にあがめられてきました。
現在、私たち東京都民にとっても大切な神社であると言えます。
 当日正午、東京メトロ・銀座線「溜池山王駅」改札口に20名が集合しました。
大都会のビルの中を通って、長いエスカレーターで地上へ出れば、「えっ、ここに神社があるの?」という高層ビルの谷間、そこから20名が好天青空の下、「百歳クラブ旗」を持つ辻さんを先頭に200メートルほど歩いたところに、神社に上る 「ながーいエスカレーターの乗り口」がありました。私達にとってエスカレーターが無いと神社参拝は無理です。助かりました。
 日枝神社は明治神宮のような厳かな静寂に包まれた環境ではありません。 大都会の喧騒がかすかに聞こえてきます。1月20日というのに、初詣の人がまだまだ多くて、特に外国人が多くて混雑していました。 聴こえてくるのは英語か中国語のようです。
まず、みんな揃って「本殿」に参拝しました。 それぞれ1年の祈願をしました。 その後45分間、自由に神社内を散策しました。赤い鳥居で有名な「山王稲荷」や「宝物殿」もあり、それぞれ有意義な時間をもつくことができました。
 アフターは山を下りて徒歩10分、赤坂見附駅に近い「三九厨房」という、大衆「町中華」の大きなお店です。世話人の喜田さんがお料理も飲み物も全て注文をしてくれました。午後3時までの2時間、美味しい中華料理と飲み物で楽しい新年会を行いました。
次回は3月の「お花見の頃」の再会を約束して、午後3時に解散となりました。
                                  (喜田祐三  記)

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