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2015(平成27)年度の活動

                                                                        
第九十五回 12月8日(火)参加者15
テーマ
情景の説明文と描写文

 説明文とはなにか。主語と述語の関係で、物事の骨格の要点を書きつづった文章である。用途として伝達、報告、記録など、ビジネス社会では最も適している。エッセイでは、流れをつくるだけで、味わいが少ない。
 描写文とはなにか。出来事、動作、変化たいして、一つひとつに修飾や形容をなしていく。読み手が場面を想像できる利点がある。描写文は文章が長くなるので、片や内容を削る作業が必要である。エッセイ、小説には欠かせない。

【情景の説明文】
 電車が伊豆海岸を走っていく。車窓には伊豆諸島がみえた。旅仲間三人の初日は熱川温泉だった。駅に着くと、温泉街から湯煙りが昇っていた。私たちの新婚旅行の思い出の地よ、出会いは伊豆大島よ、とおしえた。熱川の夜はその話題でもり上がり、翌日は伊豆下田を経由して、堂ヶ島にむかった。そして、島巡りの船に乗った。

【情景描写文】
 私たちの電車が伊豆海岸の波打ぎわを縫っていた。洋上の海面には秋の陽光がきらめく。かなたには小粒な島影が浮かぶ。車窓が一瞬まっ暗になった。トンネルを抜けるたびに、遠方の島々がしだいに電車に近づいてきた。
熱川駅のホームは、小高い丘の中腹にあった。降り立つと、眼下には温泉街の白い湯煙りが潮風でたなびく。新婚の夜はこの地の宿だった。私の心は湯煙りにかすむ伊豆大島をとらえていた。妻との出会いは真夏で、島の民宿だった。 ※堂ヶ島まで書かない。

【会話による情景文】
「ほら、いちばん大きな島が伊豆大島よ。となりの小粒な三角形が利島。そのずーっと奥が船形した神津島よ。週なん便か、下田港から連絡船が出ておるよ」
 むかいあった乗客の老女が、車窓の島々をていねいに指して教えてくれる。

 
 
 今回は、説明文と描写文の違いの話だった。
「多摩の橋を渡った」
これは説明文だ。描写文にするにはどうするか。
「(紅葉が映える)多摩の(吊り)橋を(おそるおそる)渡った」
カッコのような描写を入れて膨らませていく。
 二次会は「忘年会」となった。一年間お世話になった先生、二次会でいつも幹事をして下さる奥田さん、そして、今回「地上賞」を獲得された清水さんに乾杯した。
来年も元気に集い、学びたいものだ。

第九十四回 11月9日(月)参加者15
テーマ
ひらがな、ルビについて

 エッセイは読者に一気に読んでもらう。味わってもらう。それには『立ち止まらせない。ふり返らせない』が重要です。
 推敲では、読みやすくする点に留意してください。
@ 文章の流れを良くするためには、大きな声をだして、くり返し読む。ちょっとでも作者みずからの声がつかえると、それは読者にとって文章の流れが悪く、混乱をまねく。最悪は読むのを止められてしまう。
A 漢字(3割)とひらがな(7割)の比率において、叙述文学のエッセイは、ひらがな比率を高める。7割以上。接続詞、形容詞、副詞などはひらがなにしてしまう。動詞も可能なかぎり、ひらがなにする。
そうすれば、目立つ漢字が立ち上がり、単語一つずつがインパクトになる。
B 会話文において、女性が語る「」は、ひらがなを多くする。女性特有の柔らかな雰囲気が、作中にかもしだされてくる。
C 常用漢字を外れた漢字は、基本的にルビをつける。ひらがな比率を高める効果にもなる。パソコンならば、簡単にクリック一つでルビが打てる。

『ルビで、行間が開かない処理の仕方』
 パソコンのルビ機能そのままでは、大きく行間が開いてしまう。行間が開かない方法があります。
 範囲指定をしてから、(全文の場合は、Ctrlを押しながらA)。
「ページレイアウト」→ 「段落」→『インディテントと行間隔』
そして、行間(N)の▼をクリックし、「固定」をえらび「間隔」→18pt
ポイントは、18pt 〜 20がのぞましい。


D 人名と地名は、作者にとってよく知るもの。ただ、この程度はわかるだろうと思っても、読者にはわかりにくい。原則はルビを打つ。とくに地名など、わからないままに読んでいると、作品の味が阻害される。
E 一つのセンテンスのなかに、13〜15文字に1か所くらいは、読点(、)を打つ。読点がないと、読みづらく、ときには意味合いが違ってしまう。

 先生のご都合で、開始がいつもより30分遅れの14時からとなったが、17時ギリギリまで、密度の濃い勉強会が持たれた。
 今回、全員の作品を読んでみて、ルビ、ひらがなの不足が目立つ、と指導があった。
 文章を読みやすくするには、それらの比率を上げる必要がある。全体の流れを良くし、一気に読み通してもらうためには、特に地名、人名のルビを増やすことである。
 また、文章の技術的な上達は、自分自身をどう書くかが、鍵となる。まわりの人物は書きやすい。しかし、見えているようで見えない「私」、つまり書きにくい自分自身の取材に重点を置くことが、最も大切である、と併せて指導があった。

第九十三回 10月13日(火)参加者17
テーマ
テーマの絞り込みについて
「この作品のテーマは何ですか」
 そう質問すると、作者が着想を語ったり、素材を語ったり、あらすじを語ったりする。テーマとは何か、それ自体がわかっていないからである。
「これは受けるはずだ」と作者が思い込み、書きはじめても、テーマが決まっていないと、しだいに話がまとまらず、収集がつかなくなり、あげくの果てには頓挫してしまう。あるいは登場人物が多すぎたり、話が飛んでしまったり、脱線したり、無駄なものまで書き込んでしまう。
 結果として、エピソードは興味深いが、何を言いたかったのか、よく解らない作品になる。作者の頭のなかでは良品でも、アイデア倒れの作品になる。

(例)「この店舗は立地が良いが、従業員は不潔な身だしなみだ」(着想)
 勤め帰りの私は、駅前の惣菜屋に立ち寄った。餃子を買った。店員の白衣が汚れているから、手や指先までも汚く見える。他の客もきっと同じ気持ちだろう。こんな従業員はやめさせられないのかしら。……作文調であり、テーマは何か、読者にはわからない。
(例)「知人の展覧会はよかった。エッセイに書こう」(着想)
電話で友人を誘うと、当日はヒマだという。最寄駅で待ち合わせをしてから、展覧会の会場に入る。割に混んでいた。知人の風景画は素晴らしいと、友人とお茶しながら感動を共有した。……単に、絵画鑑賞の流れにすぎない。

「テーマ」とはなにか。
作者が言いたいことを、一言で言い表せるものである。

「口論もない夫婦には愛がない」
「一途な想いほど、結婚後は失望へと変わる」
「老夫婦は過去の憎しみまでも流せる」

「ポイント」
 テーマが決まれば、それを最後の一行にする気持ちで、書いていけば、良い作品が生まれます。斬新なテーマほど、読者を惹きつけます。

 爽やかな季節になり、教室の雰囲気も明るい。今月も17名の会員と、入会希望の女性が1名参加し、充実した勉強会となった。
 今月の講義は、「テーマの絞り込みについて」であった。エッセイをまとめる時、この作品で何を言いたいのか、それを如何に絞り込むかが、大切になる。絞り込みができていないと、書いている内容に収拾がつかなくなる。そして絞り込んだテーマを、エッセイの最後の一行に持ってくることが大切だ、と指導を受けた。
 全員の作品を読み終えた後、本日の講義にそって、最後の一行に絞り込まれたテーマがおさまっているか、各人が再度チェックしてみた。
 文学賞の選考もラスト勝負と聞く。決め手はラスト一行にあり、と先生から繰り返し指導があった。 

第九十二回 9月8日(火)参加者18
テーマ
「作者の計算」で名作になり、独りよがりで駄作になる
 文章の基本として「作者の書きたいことを、作者の思うままに書きなさい。まずは書いてみなさい」と指導するエッセイストがいる。草野球の監督とおなじ。これだと筆力が上達しない。低レベルの退屈な作品に終ってしまう。
 河川敷のグラウンドで、プレーヤー自身が楽しめれば、きょうの試合はよかったとなる。好き勝手に書いたエッセイは、まさしく草野球とおなじ。作者だけが興奮している、草野球にお金を払って観にいくひとはいない。

 プロとは何か。お金を払って観にきてもらえる技をもったひとたちである。野球、サッカー、演劇、絵画、映画、歌手……。どの分野でも、お金を払った観客に、感動、陶酔を与える技術をもっている。
 エッセイのプロは100%読者のために書ける技術をもっている。読者が一気に読み、感動を覚え、つよい余韻をもたせる手法を駆使する。
プロの技術に近づこう
 作者が筆をもてば、頭脳のなかに、まず2人の人物をおく。
一人は書き手、もう一人は読者という厳しい目の自分。
最初の一行目から、ふたりの自分が喧嘩腰ぐらいで書き綴っていく。

「最初の一行は、次の一行を読みたくなるかな?」「説明調で、小論文だよ」
「この文章の表現はお洒落かな」「懲りすぎで、内容が空疎だな」
「ここの文は読みやすいか」「読点(、)がなく、まさに老人文学だ」
「男女の会話に、性格が表現されているか?」「月並みで、魅力が乏しい」
「このストーリー展開はどう思う」「書き急いだ。エピソードが少なく、退屈だ」
……1作品に対して、チェック数が多いほど、一気に読ませる作品に近づく。

作者の計算」とはなにか。書き出しから結末まで、徹底して読者の目線で書く。
例え、おなじ事故・事件・出来事を扱っても、ある作品は名作だといわれる。別の作品は読むほどに興味を失い、途中で放棄しい、駄作だと酷評される。
名作と駄作の差は、読者の目線で書く「作者の計算」で決まってくる。

 今回は、フルメンバーに近い18名が参加し、賑やかな教室となった。
冒頭、10月から開催される先生の公開講座について、紹介があった。「知られざる幕末史」「初心者のための安全登山教室」と題し、それぞれ月に一度、五回シリーズとのこと。歴史小説の執筆、長野の地方日刊紙への連載など、多忙な日々を過ごされるなかでの開講である。充実した講座となるよう、ご活躍を祈りたい。
 過去一年間に、教室で提出された全作品をとりまとめた『エッセイ教室九十回記念誌』が発刊され、参加会員に配布された。作品集め、編集、校正を一手に引き受け、立派な出版物にまとめて頂いた事務局の森田多加子さんに、感謝したい。
 この日の講義は、「プロとアマの違い」についてであった。「読みかけで風呂に入っても、出てきた時に続けて読みたくなる」これがプロのエッセイ、という先生のご指導に、そうありたい、プロとはまだまだ距離があるな……、と感じた次第。

第九十一回 7月21日(火)参加者16
テーマ
漢字の使い分け方

@ ジャンルを問わず、漢字とひらがな比率がたいせつである。
・漢字が多いと、作品が黒くなってしまう。
・すべてがひらがなは読まれない。絵本のみ
・情報伝達や掲示は、新聞なみの漢字で処す
・エッセイ・文学は五感でゆっくり味わってもらうために、漢字比率を下げる。
・副詞、接続詞は漢字をつかわない

A 常用漢字にこだわると、叙述文学のたいせつな情感がうすれていく。
会見→市長に会う 遭難→事故に遭う 偶然→街で遇う 逢引→彼女に逢う 
花見→花を見る 観劇→劇を観る 診察→医者が診る 看病→母を看る 

B 漢字の用語は日常的なものを選ぶ。ラジオで朗読されてもわかる範囲内。
夕暮れ、日没、夕陽、夕闇、日暮れ、
【辞典の片隅はつかわない】
晩景(ばんけい)、薄夜(はくや)、落陽(らくよう)、倒影(とうえい)、昏夕(こんせき)、晩暮(ばんぼ)

C 動詞は漢字で変化を持たせる
刃物で刺す 方向を指す 日が射す 花を挿す 傘を翳す

D 外来語のカタカナは極力つかわない
・書き手と読み手に認識のずれがでる。
・内容が正確伝わらない
・作者が欧米コンプレックスとおもわれてしまう

 西原先生からレクチャーの冒頭に、「本年10月1日から8か月にわたり、長野県の地方紙に小説を連載することになった」、との報告があった。長野の皆さんに、期待に応えた連載小説が届くことを願う。
 今回の講義テーマは、『漢字の使い分け』についてだった。
 山本周五郎が、歴史小説に意識的にひらがなを多用したように、エッセイや小説では、漢字とひらがなのバランスの取れた比率が重要である。辞書の片隅に載っているような漢字、言葉では使っても書けない漢字(例えば夕暮れなど)、は使わないのが原則である。
 読み手の立場になって、ひらがなの上手な使い方を学ぼう。

第九十回 6月9日(火)参加者16
テーマ
会話文の上手な書き方

 私たちは日常の行動のなかで、考えるか、話しているか、いずれかの場合が多い。日常生活の中で、「話す」要素はかなり多く、顏を合せれば、気持ちを会話で伝えている。
 エッセイ作品になると、なぜか会話文が少ない。あっても、味気ない会話がちょっと出てくる程度である。多くの会話はストーリーを進ませる役になっている。味のある会話は稀である。
 執筆の原点が「出来事」を書いているから、説明調になり、会話の軽視になる。こんな事がありました、という粗筋になっている。
 上級エッセイは執筆の姿勢からちがう。「私の感情を書く」、「私の性格を書く」に徹している。「私」の心の微妙な動きが克明に描かれ、叙実文学まで昇華している。会話が巧く、そこから人間性、性格までも読みとれる。

日常会話と文章会話はちがう。この認識は最も重要である。
・ふだんの会話はおしゃべり、伝達である。
・文章会話は圧縮と省略によって密度がある。

巧い会話の書き方(心理、性格が組み込まれている)。
・「ここで、そんな気難しい顔をしないでちょうだい」
・「偉そうな顔して、そんな人は好きになれないわ」
・「どうしても気になり、こんな時間に電話したの」
・「いまさら謝られても遅いわよ」
・「ぼくは趣味で医者をやっているんでね」

拙い会話(上滑りで流されている)
「おはようございます」
「ねえ、ねえ、きょうは三越に行かない」
「次の駅で降りる?」

会話「」の数は全体のバランスで推し量る。(2割くらいが読みやすい)。会話がないと、ページが活字で真っ黒になってしまう。

 エッセイ教室は、今回で90回の節目を迎えた。毎回熱心にご指導下さる西原先生に、心から感謝申し上げたい。
 先生からは、「師弟が熱意を持って、この教室を展開してきたことに、感慨を持つ」とのお話しがあった。また、メンバー全体の力が上がり、他の公募などに比べても見劣りしない作品が増えてきた、と感想を述べられた。
 このような環境を継続し、力比べをすることが、レベルアップの鍵なので、生きた証を書き残すチャンスを活かし、今後も、精一杯書き続ける努力をしていきたい。

第八十九回 5月11日(月)参加者16
テーマ
心に響くことば

 映画を見たり、本を読んだり、ラジオを聴いたりする。心に響くこと

 今回の先生の講義で印象に残ったのは、よい作品を作るコツについてであった。
 先ず書き上げた文章の絞り込みが、優れた作品につながる。「三年は三行で、三か月は三枚に、三時間は原稿用紙三十枚使って書け」とのことである。また辞書を引くくせをつけることの必要性も話された。大半の人は辞書で漢字探しをするが、本来の目的は、いろいろある意味の中で、一番分かりやすい表現を探すことであり、曖昧、抽象的な遣い方の確認である、と指導された。
 今回は体調を崩し暫く休まれていた事務局メンバーも参加され、活気のある勉強会となった。90回記念誌の編集作業も、順調に進んでいる。

第八十八回 4月14日(火)参加者14
テーマ
エッセイで、わが人生のドラマを書こう

 私たちは後世になにを書き残すか。何を読んでもらうか。サクセス・ストーリーを書き残そう。
 私たちは物心がついた時には、焼夷弾などによる廃墟の町だった。戦争孤児、原爆孤児、満洲引き揚げ、飢えで死んだ子も大勢いた。そのなかで、生き残れた私たちは、食べ物も、衣服も満足にない社会で懸命に生きてきた。
 多くが誠実に働き、税金で先祖が犯した外国への賠償を支払ってきた。70年間にわたり、新幹線、家電、自動車、環境汚染処理、通信、あらゆる分野で最先端の技術と文化を世界に提供してきた。日本人が武器で外国人を一人も殺さず、これだけ高度に発達した社会を構築できた。
 70年間の優れた社会を後世に、『どうしたら、戦争なくして、高度の社会が作れたのか』と教材として伝える義務がある。
 私たちは組織の歯車と言われた。一つひとつは小さな事例だが、数集まれば、そこに信条、理念、人びとの姿がみえてくる。
「成功への道」
 書き慣れていない人ならば、『老人の単なる自慢話に陥ってしまう。読みたくも聞きたくもない』と無視されるだろう。
「成功は葛藤と対立の道」
 私たちはこれまで88回もやってきた。「自慢話、病気、孫の話」は排除し、読み手の立場で書いてきた。葛藤、失敗、挫折が書ける力量に達した。だから、サクセス・ストーリーも書いて、後世に伝えよう。
 成功事例の裏には数倍の失敗がある、と認識して。

『留意点』 
@ 有能な天才ひとりが成功させていない。凡人が激論し、飲み屋で上司の悪口を言い、帰宅すれば妻に当たり散らす。挙句の果てに、チームで成功した。
A 夢中で、夢中で、一つのことに取り組んだ。思わぬ発見、ヒントがあった。
B 絶対やれる、やらねばならない。その信念が成功を呼び込んでくれた。
C 諦めなかった。男の意地だと思い続けていた。
D 地位や名誉も気にしない、と言えば嘘になるが、管理職として苦しんだ。
E 「女はお茶くみ」。男尊優位の環境には腹が立ち、トイレで泣いた。

 西原先生から、執筆された幕末歴史小説に関する講演依頼が多く、最近はそれに追われていると、お話があった。引き続きレジュメにそって、88回まで学んできた私たちには、サクセス・ストーリーを書き残し、後世に伝える義務がある、との講義があった。
 事務局からは、90回記念誌の編集作業が始まっており、講師に指導されたことも含めた、校正原稿提出の依頼があった。またクラブ誌16号へは、エッセイ教室メンバーとして、是非力作を投稿してほしい旨、併せ依頼があった。

第八十七回 3月10日(火)参加者15
テーマ
「流し読み」に耐えられる文章

 読者はていねいに読まず、つねに流し読みをする。だから、作者は一字一句を吟味し、わかりやすい文章を書こう。

第一ステップ
三原則の文を念頭において書きはじめる
A 止まらずに読める
B かんたんに理解できる
C 正確に伝わる。

第二ステップ
読みやすい文章を書く
@ 主語(私)は早めに一度出しておく。
A 一つのセンテンスは、一つの意味だけにとどめる。
B 否定文よりも、肯定文でかく。
C 回りくどい表現は排除する。
D 「など」「〜的」のあいまい用語はさける。
E 副詞や動詞はなるべく平がなにする、
F 受け身の文章はさける
G カタカナ用語で、文章をごまかさない。
H おなじ語尾、おなじ用語をつづけない。
I むずかしい漢字は、平たい文字におきかえる。
J 接続詞は極力つかわない。
K 話しことばは、地の文に入れない。

第三ステップ
声を出して読む
書きあがった文章は音読してみる。声の流れが良くなるまで、なんども書きなおす。難なく読めてくると、語り口の良い、わかりやすい文章になる。

 毎回一人ずつ男性会員が増え、男女のバランスも均衡してきた。前回から林荘八郎さん、今回から鈴木晃さんが参加されている。一方女性会員の欠席が多く、さびしい。
 今回の講義テーマは、『分かりやすい文章を書く』である。レジュメにある12項目のメモを、常に身近な所に置くように。そして机の向こうに読み手がいるつもりで、常に読者を意識して書いてほしい、と指導があった。
 また、メリハリのある句読点が、読みやすい文章を作る。読点は13〜15文字に1か所、句点は40文字に1か所程度入れたい。句読点のないのは、老人文学、増やすと文章が若返る、との講師のコメントに、一同納得した。

第八十六回 2月10日(火)参加者13
テーマ
書き出し、結末、勇気について

なにをどう書いても良い、と語る指導者がいる。その実、自由気ままに書けるものなら書いてみろ、という奢りが根底にある。話すように書きなさい。ベラベラ喋るように書かれたら、読み手はたまったものではない。お付き合いで負担を感じながら読んで、結末で下手な演説を聞かされた気分になり、作品自体に失望してしまう。

 おなじ素材でも、名文もあれば、駄文もある。
 小中学生のとき、我流で作文を書いた。
『書き出しで、読者に逃げられるな。結末では失望させるな』
 この基本が教師から教えてもらっていない。それなのに、エッセイや短文が書けると、世の多くは錯覚している。
 創作技法が身についていなければ、連続して良品は書けない。次が期待されても、我流で書いて失望させてしまう。
 エッセイを学ぶ。つきつめると、「書き出し」と「結末」の達者な技法の習得と、「勇気」である。人間は誰しも恥をかいている。失敗もしている。罪悪もある。それを本音で赤裸々に描く精神がなければ、感動作品をかく技量は身につかない。読者は利巧だから、小手先の嘘やつくり話は文脈で見破られる。

【読者を引きこむ書き出し】
@ 動きのある描写シーンから書く(映画を見るように)
A 最初の一行で、次が知りたくなる。二行目で、さらに次が知りたくなる
B 思わずエッセイ空間に引き込まれていく。(同じ体験の境地にさせる)
C 私の履歴、家族の説明、初めから結末がわかる(退屈感を与えてしまう)

【巧い結末のつけ方】
@ 最後まで、糸がぴんと張っている。
A 続きがあるように、後方は思い切って切り捨ててしまう。
B 言いたいことは書き切らず、腹八分目で留める。
C 形を整えて締め括ると、「作品よ、さようなら」読後感がない印象を与える。

 エッセイ力を向上させるためのポイントを、先生がレジュメで提供して下さる。教室開始から最初の30分は、そのテーマを中心に講義を受ける。
 今回の指導は、『書き出し、結末、勇気について』であった。レジュメの後半に、「読者は利巧だから、小手先の嘘や作り話は文脈で見破られる」とある。 どこまで事実を書けばよいのか。心の内面、日常の行動、人との付き合いなどについて書き続けると、知らず知らず嘘や作り話し、取り繕う、伏せる、ごまかすなどで、逃げるようになる。これを文章の魔力というそうだ。 どこ迄それが許されるか。先生は、それを手加減、塩加減と表現された。

第八十五回 1月13日(火)参加者15
テーマ
筋立て(プロット)

エッセイを書き慣れてくると、筋立てに一定の原理が見えてくる。素材・材料の処理が巧くなってくる。身近な小さな出来事でも、「赤の他人の読者でも一気に読ませる」という筋立てになってくる。
 書き慣れていない(初期の)人は、着想(思いつき)は良かったが、書き出してみると、筆が途中で思うように進まず、悩んだり、投げ出したりする。
『頭のなかは名作だが、書けば駄作』
 見取り図通りに書けないものだ。

『着想から結末』
@ 創作のコツは、まず素材を頭のなかでしっかり濾過し、熟成させ、テーマを決めていく。テーマが決まると、それを作中のどこに置くか、思慮する。書き出しか。後半のクライマックスか。結末の数行のなかに置くか。そこへ「読者を導いていく」のが、よい筋立てである。
テーマが不鮮明だと、ムダの多い文章で、筋立てや運びが悪くなる。

A 冒頭では、ゆっくりと人物や出来事の一端を紹介する。筋や構成が整う。あまり緩慢過ぎない。次は筋を掘り下げながら、スピードを速めていく。流れが速すぎると、表現が荒く、軽薄になる。ひどい場合は箇条書きになってしまう。書き慣れると、ここらが緻密に計算できてくる。後半はこれまで伝えてきたものを収集しながら、結末に向かって急速になる。

B 能の喩から「序破急(じょはきゅう)」とも呼ばれている。冒頭で速く舞いすぎると、観能の気分を壊す。破は表現(エピソード)が細かく砕かれて、緻密になってくる。最後の急は、スピードを高め、筋を集めて結末とする。

 エッセイは自分の体験と経験を書くだけに独りよがりになりやすい。それを解消するには、作者と主人公「私」との間に距離感を持つ。そして、読者の心を引っ張りながら、自分とおなじ疑似体験させる。良い筋立てとは、それを計算しながら書くことである。

 前回84回教室までの会員数は、男性7名、女性11名、計18名でした。今回廣川登志男さんが入会され、男女のバランスが整ってきたようです。一つのテーマについてエッセイを書いても、男性のものの見方、受け止め方、表現の仕方と、女性のそれとは違います。お互いエッセイを読み合い、何を考え、何を言いたいのかを理解し合うのは、大切なことだと思います。
 新しい年にあたり、これからも西原先生のご指導の下、より充実した教室が続くことを願っています。


講師:西原健次 毎月1回開催(1月、8月休講)
場所:新橋「生涯学習センターばるーん」 
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