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第176回 令和5年11月22日(水) 参加者20名
「国立天文台4D2Uドームシアターの見学」
快晴の11月22日(水)、11月度「日だまり」を実施しました。
今月は三鷹にある「国立天文台」の4D2U ドームシアタを見学しました。
12時45分にJR三鷹駅改札口に集合、小田急バスで一路「国立天文台」へ向かいました。国立天文台は世界最先端の宇宙観測施設を擁する日本の天文ナショナルセンターです。 この天文台の設立は1888年「東京天文台」として東京府麻布飯倉に発足、その後、1924年に発生した関東大震災を機に麻布から三鷹村(現三鷹市)に移転しました。そして1988年「国立天文台」と改称され現在に至っています。
私たちは、午後2時から今話題の「4D2U (4次元デジタル宇宙)ドームシアタ」で宇宙の仕組みを映像と説明で勉強しました。
直径10mのドームの天井に映し出される宇宙の立体画像を、天文台の研究員の方が丁寧に説明してくれました。45分間の宇宙旅行を宇宙船「百歳クラブ号」に乗って皆で楽しんだ気分になりました。
地球を含む8個の惑星を持つ太陽は太陽系の中心ですが、太陽系は天の川銀河のほんの片隅にあります。天の川銀河は渦巻状の形をしているところから渦巻銀河と呼ばれ、ここには数千億個の恒星(太陽に相当した大きな星)があると考えられています。天の川銀河の隣り合わせに同様の渦巻銀河のアンドロメダ銀河があり、さらに遠望には、楕円銀河や棒状銀河などが無数に存在しています。4D2U ドームシアターではあたかも宇宙船に乗ってこれらの未知の宇宙世界を旅するような感覚になりました。
ドームのあとは65㎝屈折望遠鏡(2000年ころまで現役)が保存されている「歴史館」等を見学しました。この望遠鏡は1924年カールツァイス製で当時世界最大の望遠鏡でした。
一旦、バスでそろって三鷹駅に戻り、午後4時30分から久しぶりに夕方からの「アフター」
を楽しみました。会場は居酒屋・山内農場三鷹駅北口店です。盛り上がった懇親会の様子は写真でご覧ください。
楽しかった「日だまり」は午後7時散会となりました。 (喜田祐三 記)
第175回 令和5年10月17日(火) 参加者13名
「くすりミュージアムの見学」
夏休みを経て久々の「日だまり」は、日本橋にある「Daiichi Sankyo くすりミュージアム」見学でした。
10時15分地下鉄・三越前駅に集合。歩いて2、3分で
「くすりミュージアム」到着。
まず受付でメダルを登録、ひとつずつ渡され2階へ。
そのメダルでタッチして20近い行程の展示を操作し、学習する仕組みになっている。
くすりの種類、働き、体内でのくすりの動き、飲み方、くすりの歴史などをぐるり一巡、1時間ばかり学習。
「福徳神社」にも寄る。
街中の神社なのに結構賑わっていて参詣の人が絶えない。
大吉のおみくじを引き当て一緒に写真を撮ったりしている。

お昼は「COREDO室町」の中で、すき焼。乾杯。ビールの泡を眺めながら思った。やはり「お酒は百薬の長」だろうか?
こうして楽しく集うこと、みんなで笑うことが何よりの健康、長寿の素なのかな、と思う。
みなさんの笑顔の中、上田さんがにこにことお元気に参加なさっていたことも、うれしく勇気づけられました。
いつもすてきな企画、そしてお世話して下さるお世話人の方々、ありがとうございます。
くすりのルーツ 豆知識
紀元前5世紀のギリシャでは医学の父とされる、ヒポクラテスがヤナギの皮や枝から現在のアスピリンにつながる鎮痛薬をつくったと伝えられている。一方日本では、大国主命や因幡の白うさぎが、花粉や貝の汁や貝殻の粉をくすりとして用いていたことが、「古事記」に記されている。~そうですよ。
高瀬 記
第174回 令和5年6月20日(火) 参加者19名
「野球殿堂博物館と小石川後楽園」
今日は野球殿堂博物館の見学です。梅雨の季節ですが晴れて良かった。また急きょ入館が予約制になったのですが、準備して頂き感謝です。そのような状況のもと東京ドームに19名の方が参加されました。
今年はWBCで野球が盛り上がりました。ときどき「野球殿堂入り」の発表がありますが、長年野球に携わってきた人の実績が、各種条件に基づき選考委員の投票で決まるようです。 入り口には今年殿堂入りしたラミレス、バース、古関裕而3氏のパネルがありました。
中に入ると現役選手のコーナーが有り、ユニホーム、バット、グラブ、帽子、スパイクシューズなど使用していたものが展示されていました。次の部屋は特に有名な選手のコーナー、野球の歴史について、アマチュア野球に関するものも置いてありました。皆さん野球選手をみると、名場面が浮かび懐かしく話が弾んでいました。
一瞬厳かな雰囲気を感じたのは、殿堂入りした人達の肖像レリーフが、昔の人から順番に飾ってありました。最近亡くなられた方にはレリーフに花が掛けてありました。
WBCの優勝トロフィーは金色に輝いていました。企画コーナーには参加された選手などたくさんの展示物があり、野球好きにはたまりません、きっと。
博物館の見学が終わって、次はすぐ隣にある小石川後楽園の散策です。ドーム23ゲートあたりの階段を下りて、少し進むと庭園の東門でした。ここは回遊式築山泉水庭園で、水戸徳川家二代藩主の光圀の代に中国の風物を取り入れて完成した庭園とのことですが、難しく考えず都心に有りながら、木々に囲まれ静かで池と 築山のバランスは絵になり癒やされました。
東京にはいくつかの庭園があり、気分転換には良い所です。花は菖蒲が少し残っていました。しばし回遊して西門から出ました。
ここから西へ少し歩き飯田橋駅のそばで食事しました。
今日は大分歩いた感じがしました。皆さん疲れも見せず食事、お話に盛り上がっていましたが15時解散しました。
第173回 令和5年5月16日(火) 参加者14名
「食と農」の博物館の見学
5月16日は「日だまり」の農大バイオリウムツアーに参加しました。前日まで不順だった天候が当日は絶好のお出掛け日和になりました。10時に小田急線千歳船橋駅前に集合、10分程バスに揺られて目的地に到着しました。
バイオリウムは隈研吾氏設計の縦ルーパーが目を引くシックな建物でした。私の農大イメージが少しお洒落に変わりました。因みにバイオリウムとは、渡されたパンフレットによると『バイオは「生きもの」、リウムは「空間」。動物園、植物園、水族館といったくくりを取り去った「生きものの」空間』と説明してありました。
早速、案内係に引率されて参加者14名のツアーが始まりました。ツアーは前、後に分かれていて、前半は「食と農」の博物館の見学でした。中は大きな温室になっていて集められているのは主に南半球の植物でした。植物に疎い私ですが、サボテンの所変われば姿形の変わりようが印象に残りました。
ツアー後半は先ず展示されている大シャコガイの貝殻、内側に触れると肌触りの良いこと‥思わずボッティチェッリの「ビーナスの誕生」を連想しましたが、係員から海底に鎮座しているときは190キロと聞かされてイメージは大相撲の力士に変貌しました。
次は1メートル50程のシーラカンスの標本、その眼の大きくて立派なこと、光の少ない深海に生息している結果発達したそうですが、私には古生代から生存したシーラカンスの眼は「何でもお見通しだ」と言っているように見えました。腹に卵を付けた幼魚が胎内で共食いをするおぞましい話も聞かされました。
最後は肉食のナギナタナマズが餌に喰いつく実演でした。餌の金魚を水槽に入れた瞬間にひと飲みしてしまう早業は残忍な思いを抱かせる暇を与えませんでした。これでツアーは終わり、食事までの時間を2階の展示コーナーでテーマも分からないまま夥しい鶏の剥製を眺めて過ごしました。
バイオリウムと広場を挟んで筋向いにあるロイヤルホストがお食事処でした。昼食時の混雑で3グループに分かれて席につきました。私は生ビールと蠣、海老のフライを美味しく頂戴しました。そして不図思ったのです。ピラニアやナギナタナマズと比べて、養殖の食材を調理して食文化を謳歌している人間と果たして何れが残忍なりやと。もしやシーラカンスの眼はすべてお見通しなのではないかと。
午後2時散会、バスのタイミングが悪くて私は千歳船橋駅まで歩きました。途中買い物して家に辿り着いたら万歩計は10000歩。心身ともに有意義な一日を過ごしました。
「日だまり」の世話人の皆さま、有難う御座いました。
本間 記
第172回 令和5年4月18日(火) 参加者14名
「深川江戸資料館の見学と清澄庭園」
テーマ「深川で江戸情緒を楽しむ」
[1] 4月18日(火)14名の参加を得て、深川江戸資料館と清澄庭園を見学しました。
午前11時に14名のメンバーが大江戸線・半蔵門線「清澄白川駅」に集合しました。いつものように5分前には全員がきっちりと集合しました。「清澄白河駅」は深川の最寄りの駅です。
[2] 深川は今なお、江戸情緒が残る町です。この町の歴史や風俗を体験するために「江戸資料館」を見学しました。ここでは天保年間(1830年~1844年)の江戸庶民の生活を実物大で再現しています。深川佐賀町の長屋が並ぶ街並み、船で遊びに行く客を送迎する船宿・相模屋、棒手振り政助・船頭松次郎・三味線師匠の住まい、火の見櫓などを見学しました。
  
[3] 「江戸資料館」の見学後、東京の名園「清澄庭園」を散策しました。
「清澄庭園」は江戸時代、紀州の豪商(紀伊国屋文左衛門)の屋敷でした。1878年に三菱グループの創業者の岩崎弥太郎が所得しました。さらに1924年岩崎氏は東京市に寄贈しました。このような変遷を経て、現在私たちの目を楽しませてくれる東京屈指の美しい庭園になりました。
[4] 見学後、13時から近くの中華料理店「泰山」で楽しいアフターを楽しみました。
麻婆豆腐、青椒肉絲、エビチリ、豆苗炒め、チリ空心菜、八宝菜、餃子にシュウマイなどなど、もう食べきれないほどの多様な中華料理とビール、紹興酒、日本酒、ワイン、烏龍茶などでお腹いっぱい胸いっぱいになりました。
午後3時に現地解散。
(喜田祐三・記)
第171回 令和5年3月20日(月) 参加者16名
「横浜エアーキャビンとみなとみらい散歩」
今回は2年前に開通した都市型循環式ロープウェイに乗って、横浜の赤レンガ倉庫、横浜税関など古い建物に少し触れて来ました。晴天で散歩日和でした。
11:30前、桜木町駅に16名が元気に集まりました。不安的中、乗り場にはたくさんの人が並んでいましたので、私たちもすぐ乗り場に並びました。
「横浜エアーキャビン」乗り場は桜木町駅前広場にあります。ゴンドラは8人乗り、終点まで時間はわずかに5分ですが、左手にはランドマーク、クイーンズタワー、コンチネンタルホテルに観覧車。眼下には運河と汽車道、右手にも横浜市庁舎など高層ビル。しばし空中散歩をたのしみましたが、乗ったと思ったらすぐ降りる準備でした。 運河パーク駅を降り、通りの左手正面に赤レンガ倉庫が見えます。凱旋門のような建物を通りぬけ、赤レンガ倉庫の見物です。ここの広場はいろいろなイベントが開かれ、いつも賑わっています。建物の中はショップや食べ物屋が入っていて若者がいっぱいでした。海辺からの風がさわやかでした。右手にベイブリッジ、大きな橋です。
赤レンガ倉庫を出て左手に大桟橋を見ながら、通りの正面にドーム型の塔がある建物が 横浜税関です。横浜3塔と言われている県庁(キング)、横浜税関(クイーン)、横浜開港記念館(ジャック)のひとつです。展示資料室には税関の歴史、歴代税関長、摘発された密輸品とか、偽ブランド品の見分け方など、いろいろな押収物が展示されていました。
たまにニュースになりますが、いかに国内への不正持ち込みを防ぐか、大変な業務だなあと思いながら見学しました。
ロープウェイ待ちで時間がかかったため、赤レンガ倉庫、横浜税関と回りましたが、予定をこなすため、ぶらぶら散歩はできませんでした。また次回にでもゆっくり。
昼食は日本大通り駅から電車に乗って元町中華街へ。降りてからがまた大変でした。中華街大通りは原宿の竹下通りのように若者がいっぱいで、ぶつかりながら進みました。
やっとのことでお店に到着、食事はいつもどおり美味しい料理をたくさんいただき、3時過ぎ帰路につきました。 清水 記
第170回 令和5年2月21日(火) 参加者16名
「日本銀行の見学」
2023年2月21日(火)我ら「日だまり」仲間の老若男女(「若」の部分は怪しいが)の勇士?16名は日本晴れ青空の下、天下の日本銀行(いわゆる”日銀”)本館を訪問し見学した。場所は中央区日本橋本石町で三越本店の隣りの位置。日だまり仲間とは東京駅の八重洲側で集合して日銀へ歩きで移動した。約7、8分の高齢軍にも程よく快適な歩きの距離だった。
僕は昔勤めた伊藤忠商事の東京本社が当時は日銀の近所にあり、この辺はよく歩き回り馴染んだ界隈で懐かしかった。
日銀本館は由緒ある歴史的建造物となって今も現役だが、歴史上も著名な日本の代表的建築家で「日本近代建築のパイオニア」とされる辰野金吾の設計により、1890年に着工し1896年に完成している。これは明治29年。明治新政府が日本国家の近代化を急速に進めた中で誕生した。今年127歳となる薄い茶色系の本館ビルは周辺の白い2−4号館を含め今も現役を続け独特の威厳と由緒を感じさせる歴史的な建造物だ。
我らが幹事さん手配のガイドの説明付きでスライド映写と展示物を見学しながら日銀の内部を厳かに?歩き、地下2階も含めほぼ全館内を制覇?して見て回った。個人でこの様な内部の見物や歩きは難しく、今回のいわゆる団体ツアーには貴重な機会を頂いた。我らが幹事さんのご足労と準備に感謝。
日銀の開業は1882年、これは明治15年であるから明治維新後の急速な日本国近代化の中で重要な国策と国家事業として新政府によりイギリス、ドイツ、フランスの事情などを研究し学びつつ創設された歴史が理解できる。 我ら熟老年見学隊は資料室で座ってのプレゼンテーションを受け、更にガイドさん付きで銀行内部を地下二階から上まで見学し、日本の諸銀行にとっての銀行、国家の中央銀行である日銀の歴史と機能を駆け足ながら改めて学ぶ貴重な機会と知的な都内遠足となった。
日銀見学を終えた我が「日だまり」隊は八重洲側のビアホール・レストランにいそいそと場を移し、乾いた喉に冷たいビールで乾杯と意気を上げ美味ご馳走のランチにあり付いた。参加者全員にとりくつろぎ楽しくコスパの優れた満足の1日を噛み締めながら辿る帰宅の途となったのである。
半田 記
第169回 令和5年1月17日(火) 参加者16名
「東京大神宮の初詣」
1月17日(火)少し遅めの初詣を飯田橋にある「東京大神宮」にて行った。
「東京大神宮」は1880年(明治13年)に有楽町に創設され「日比谷大神宮」と呼ばれていたが、1923年(大正12年)の関東大震災で被災を受け、1928年(昭和3年)飯田橋の現在地に再建された。伊勢神宮と同じ天照皇大神と豊受大神が祀られており、「東京のお伊勢さん」と親しまれている。
1月17日(火)午前11時に16名の皆様がJR飯田橋駅西口に集合。
「元気に百歳」クラブの御旗を先頭にして、早稲田通りを行き、大神宮通りを左折して300メートル、こんもりとした神宮の森が見えてくる。近い、駅から徒歩で10分以内の距離に「東京大神宮」はある。「祝・身体健康・生業繁盛」の紅白の風になびく旗が私達を迎えてくれる。1月も半ばを過ぎたというのに参拝客が多いのにちょっと驚かされた。手水で手を清めてから、本殿に皆さん並んで、2礼2拍手1礼で今年の安寧を神様にお願いした。
美しい松の緑が今年の幸運を約束してくれているようだ。おみくじを引く人、お札を買う人、何もしない人、それぞれ様々だ。本殿前に整列して記念写真を納まる。
JR飯田橋駅西口を出てすぐの牛込橋の袂に江戸時代の「牛込見附」の石垣の遺構がのこっている。江戸城外郭にあった見附の一つで最も往時の姿をとどめているのが牛込見附跡 である。世話人の喜田さんから「牛込見附」の歴史が手短に説明された。1639年、幕府の命を受けて、徳島藩・蜂須賀忠英らによって築かれた。普請した忠英を指す「松平阿波守」の文字が石垣に刻まれている。見附とは見張り台の意味で、敵の侵入を防ぐ色々な工夫がみられる。参加者は熱心に聴いてくれた。
初詣と見学が早めに終わったので、12時30分から予定していた「アフター」は時間を30分早めて、12時から始めることになった。会場になるJR飯田橋駅・駅ビル20階にある、海鮮居酒屋「北海道」と交渉して30分前倒しに成功。みんなでアフター会場の居酒屋「北海 道」を目指して急いだ。
地上20階の展望階にある居酒屋「北海道」は、「都心にこんな居酒屋があるのか」というくらい、ゆったりとした贅沢な作りである。まず広さが広い、当然のことながら眺めが良い、キレイ。高層階の窓から下界を眺めつつ、飲み放題付き、コース料理「満喫」と海鮮鍋をつつきながらのアフターは身も心も解きほぐしてくれる妙薬であった。
名残惜しみつつ、午後2時過ぎに現地解散した。 喜田 記
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